まさかあの時のことが本になるなんて・・・
「2017年に栃木県の那須の茶臼岳で登山訓練をしていた高校生8人が雪崩に巻き込まれて死亡した事故について栃木県に損害賠償を命じる判決が言い渡された」
というニュースが、今年(2023年)6月28日に報じられた。
これを聞いて、かつて同じような雪崩事故が長野県の五竜遠見で起きていたことを思い出した。
1989年、私は長野県の県立高校の二年生山岳部員だった。
一学年下の後輩たちと山岳部顧問だったI先生が春休み中に参加していた雪山研修会で雪崩が起き、参加していた別の高校の山岳部顧問教師が一人亡くなっていたのだ。
当時は、研修会から戻った後輩たちから、
「雪崩に巻き込まれた人を探したり、その後マッサージしたりした」
といった内容を聞くにとどまり、
その後、この話がどうなったのかは知らなかった。
しかし、それから34年たった今年(2023年)の4月、このときのことが一冊の本となって発売された。それが『天災か人災か? 松本雪崩裁判の真実』(泉康子著・言視舎刊)である。
6月8日に山岳部のOB会のメールで存在を知り、購入した。
この本はAmazonの評価が4.2と非常に高い。
1989年3月8日に五竜遠見尾根で起きた雪崩のたった一人の犠牲者となったS先生(※本の中では実名 当時24歳、地元の進学校から京都大学をでて地元の高校の教諭になった一年目を終える春だった)のお母さんが、その死の真相を求めて、長野県を相手に裁判を起こし、5年後の1994年に勝訴するまでを追ったノンフィクションである。
勝訴するまでと書いてしまえば簡単だが、34年前の当時(というか現在も)、県(正しくは当時の長野県知事)を相手に裁判を起こすなど、大変勇気がいることだったと思う。
だが、亡くなった教諭のお母さんは
「なぜ息子が死ななくてはならなかったのか」
という無念の思いから裁判を決意。
頼もしい弁護士を味方につけ、
長野県高等学校教職員組合をも動かし、最終的には18万人を超える署名を集め、
従来定説とされていた「雪崩は自然災害」を覆す「雪崩災害の8割は人災」を認めさせていく。
だがその一方で、県を相手に訴えることを尻込みする夫との距離は離れていってしまう。そうした過程が丁寧に描かれ、非常に読ませる内容となっている。
『松本雪崩裁判の真実』との不思議な縁
この本は「1994年、私は『いまだ下山せず』を発表した。」で始まる。
冒頭のこの一文こそ、私が本原稿を書いている理由につながっている。
というのも、『いまだ下山せず!』は、私が現在勤務している出版社から出版されていたからだ。私は1997年入社なので、発売時に勤務はしていなかったが、強いタイトルと表紙の印象的なイラスト(実は写真だったのだが)が強く記憶に残っていた。
『いまだ下山せず!』は著者である泉康子さん自身の経験を書き下ろしたノンフィクションだ。こちらもAmazonでは4.1と高評価である。
1987年の正月の北アルプス表銀座(燕~槍ヶ岳ルート)を目指した「のらくろ岳友会」の3人グループが行方不明になり遭難。半年後の6月に常念下の一ノ沢で遺体となって発見されるまでを追った内容(1999年に文庫化され、2004年と2009年に新装版として再文庫化)だ。
同じ「のらくろ岳友会」に所属していた泉さんが、3人がどのルートをたどり、遺体はどこにあるのかを探るミステリー的な要素もあり、こちらも大変読み応えがある。
『松本雪崩裁判の真実』の奥付(本の最後にある、著者名・発行所名・発行年月日・定価などの記載情報)を見ると、すでに引退した会社の大先輩の名前があった。
つまり『いまだ下山せず!』のスタッフで、新作『松本雪崩裁判の真実』を手掛けたことが読み取れた。
『松本雪崩裁判の真実』も『いまだ下山せず!』同様、著者の描写力によってグイグイ読ませられ、数日もたたないうちに読み終えてしまった。
そして、いくつかの謎が残った。
私は、その謎を解く旅にでることにした――。