東出昌大映画『WILL 遺言』感想

映画『PERFECT DAYS』から日を置かずに、

東出昌大を追ったドキュメンタリー映画『WILL 遺言』を見てきた。

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東出昌大(以下、36歳で「くん付け」も失礼かと思うが、我が家ではずっとそう呼んでいるので、東出くんとする。ちなみに本作内では親しい人からはデックンと呼ばれていたw)が2020年1月に若手女優との不倫報道後に事務所を契約打ち切りになり、その前後からもともと趣味としていた狩猟活動にのめり込んでいく様子を追ったドキュメンタリーである。

 

監督・脚本・撮影・編集は、ほぼエリザベス宮地氏一人によると思われる。

 

映画は比べるものではないと思うが、『PERFECT DAYS』といろいろ対照的な映画だった。どちらが面白かったかといえば、どちらも面白かった。

 

以下、備忘録的に感想を思うままに書く。

 

・尺が長い。2時間20分でちょっと冗長に感じた。もっとカットすべきところはカットすべきだと思うが、前述したように一人で編集しているから、カットできないのだと思う。これは本の編集でもよくあること。第三者が見て、切るべきところは切っていったほうがメッセージは伝わりやすくなると思う。(この点『PERFECT DAYS』は、CM制作チームにより、大所帯&大予算で作られたと推察されるが、ムダなところはそぎ落とされていてキレイにまとまっていたと思う)

 

・とにかくカモシカやイノシシなど、獣を猟銃で殺しては、皮をはいだり、内臓をさばくシーンが多かった。ドキュメントとはいえ、普通ならあまり見ないので新鮮だったが、彼にとってはもはや日常的な作業に近い感じで、息遣いこそ粗いものの、表情は素のままなので、最初はサイコパスっぽい感じもした。(後半見るにつれ、その感想はなくなるんだけどw)

 

・一方で、「殺される動物がかわいそう」だと思っていることをカメラの前では告白しているのも印象的だった。彼の仲間の漁師たちは「そんなふうに思っているなら狩りをするな」とも。

 

・映画の中で、取材に来た週刊女性の記者&カメラマンとも仲良くなっていく、というくだりがあるのだが、こうした本来は敵対してもいい人も含めて、取り巻く人々(狩猟会の年配男性メンバーたちや狩猟の師匠、近所のおばちゃんなどあらゆる人)が彼のことを好きになってしまうのが印象に残った。それは画面から伝わってくる。そして狩猟仲間は共通して、「狩猟は仕事じゃない。彼の仕事は俳優。俳優として、いい仕事をしてほしい」と言っていた、とても好かれているんだなと感じた。

 

・映画のパンフレットは、まったく面白くない場合と反対の場合があるが、本作では、監督や作中に登場する先輩漁師のインタビューなどもしっかり掲載されており、本作を補完する意味でも買うべきものだった。買って良かった。

 パンフを読むまで、個人的に付き合いのある監督が、社会的に抹殺された東出くんを援護するために映画を作ったのかなと思っていたが、まったく違っていた。「狩猟」をテーマに、スキャンダル発覚前に集客も見込んで人気俳優東出にオファーをしたものの、事務所からイメージを理由に却下されていたものが、スキャンダル発覚後に、東出くんから逆オファーを受けて企画が進んだというものだった。

 

・狩猟で銃をうつたびに、画面がブレるのだが、そんなに揺れるほどの衝撃なんだと思った。

 

・一緒に観に行った妻の感想は「離婚した元妻・杏は男を見る目がないと思っていたが、映画を観て、むしろ男を見る目があったんだ」というもの。これに意味するところは、いい意味で「東出くんが想像以上に生物としてのオス(雄)で、本能の赴くままに生きる存在だった」ということ。逆に言うと、普通に都会で生活していくのは無理だったのではないかとも言っていた。私もそう思う。

 

・本作の最後のほうで、「なぜこのドキュメンタリーの制作を逆オファーしたのか」を説明するくだりがある。本人によれば「うつだったんだと思うが、そんな状態の中で離ればなれになった子どもたちが後から観たときに父としての姿を残したかった(=このまま死んでもいい)」というようなことを言っていたと思うが、実際は自然の中の生活になるにつれ、元気・活力を取り戻していくのが興味深かった。

 

こんなところかなぁ・・・。

 

3月に観に行く予定の若松プロダクションを描いた『青春ジャック』にも東出くんは出演しており、去年公開の『Winny』も観ているから、なんだかんだでけっこうな頻度で東出くん映画を観ていることに気づいたのであった。

 

 

映画「東京物語」と「東京画」の視聴が必須かもw ※ 映画「PERFECT DAYS」感想

 


公開からえらい時間が経ってしまったけど、週末に見てきました。


映画を観終わった直後のシンプルな感想は


・観る前は「絶対寝る」と思っていたけど、寝ないどころか、どちらかと言えば面白かった。ただちょっとところどころ引っかかるところはあった。


というもの。


ただその後、レビューサイトで、他の人の感想などを見ると、


・概ね好評
・中には、大傑作と評する人もいれば、まったく受け付けない、むしろ嫌悪するという人も一部にはいる


という感じだったので

「くたびれた初老のおじさんが毎日ルーティンでトイレ掃除をする生活に中でちょっとした事件や変化が起こる映画」に、これほど大絶賛と大嫌悪をもたらしているという状況に興味をもったので、ちょっと調べてみた。

 

大傑作という人たちの内容は、それこそレビューに溢れているので割愛するが、だいたい、「 何気ない普通の日常こそが幸せを描いている点、それを見つめる監督の視線がすばらしい 」というもので、

 

加えて、「それを言葉で説明することなく、というかむしろ極力言葉をなくして、映像で見せている点がさらにすばらしい」といった内容だったかと思う。

 

大嫌悪する人たちの指摘は、「 何か引っかかる、何か嘘くさい 」といったものが多く、具体的には「インテリが考える市井の生活ってこんな感じだろ的なニオイがする」「こんな(主人公平山みたいな)人はいない」といった内容だったかと思う。

 

そして、映画の成り立ちを調べると、どっちも正しいということがわかる。

というのも、

 

・監督は小津安二郎を敬愛する巨匠ヴィム・ヴェンダースで、あくまで彼(外国人・第三者)が観た日本が(好意的に)描かれている
ヴィム・ヴェンダースと共同脚本に名を連ねる高崎卓馬氏は電通出身のCMプロデューサーで、制作もCM制作チームで撮影されている
・もともとは渋谷区の風変りなトイレへの注目を集めたいという要望を、ユニクロの柳井さんの息子さん(ユニクロ取締役)から高崎さん受けて始まった企画が映画になったという経緯がある


といった背景があることがわかってくるからだ。

 

さらに、高崎さんがゲストになった以下のユーチューブを見ると

 

httpswww.youtube.comwatchv=c8tgmAdDqaY
httpswww.youtube.comwatchv=uPHT1-BBEuQ

 

高崎さんの・・・・なのか、電通流なのか、わからないが、
「通常ならなかなか実現できないような企画」をいかにして実現させたかみたいなものも見えてきて興味深い。

 

思いついた企画を実現させるために、通常なら「予算におさまる範囲で最高の内容に仕上げる」が、高崎流(電通流?)だと、「さらに風呂敷を広げて、大ごとにすることで金を集めて、時間をかけて実現させる」みたいなことだ。(当たっているかわからないけど・・・・w)

 

ただ風呂敷を広げるだけでなくて、「誠意も最大限尽くす」みたいなところがなかなか普通の人にはできないだろうなとも。この映画でいえば、「実際のトイレ掃除の仕事をやってみた」という部分とかである。

 

これに近い話だと、出版社も書いてもらいたい著者に手紙を毎日書き続けたとか、通い詰めたみたいな話があるが、言うは易し行うは難しで、なかなかできないので、すごいと率直に尊敬する。


で、ながなが書いてきた結論としては、

 

・なんだかんだで、初老男性のトイレ掃除の日常を描くだけで、(自分も含めて)賛否の反応を起こさせたこの映画はすごい!
・ついでに元々のクライアントからの要望だった澁谷のトイレへの注目を世界から集めているから、なおさらすごい!
・ただし少し薄っぺらい

・主人公平山のようなルーティンな日常を選んでいる(さらにその日常に小さな幸せを感じている)人は、特に男性に一定数いると思う。(程度の差はあれど、自分も似たところはあるから)

 

がこの映画の私の感想です。

 

さらに言うと、上のURLでのトークの中で、高崎さんが監督に「この映画のテーマは何か?」と質問して、えらい怒られた(=そんなものがわかれば映画は作っていない)というくだりがありますが、興味深かった。

 

そして今は、この映画をもっと知るためには、結局まだ一度も見たことがない小津の「東京物語」と、ヴィム・ヴェンダースの1982年の「東京画」を観ないといけない、と思っているところです。

10年以上続いていた自転車通勤が終わった件 <備忘録>

 

いつ始めたか、定かではないんだが、

10年以上続いていた自転車通勤が終わった。

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コロナ禍で自転車通勤OKだった会社が

自転車置き場をなくすから自転車通勤NGとなり、

それでも会社からちょっと離れたところに駐輪していたのだが、

見かけた人から総務に連絡があり、

屁理屈をこねたけど正式にお達しがあったという次第。

 

その話(自転車通勤がNGになった件)を妻に告げると、ㅤ

「息子が保育園の時からだよね」とのこと。

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ということは、つまりこのコーポラティブハウスに引っ越してくる前の

隣町に住んでいた時からということだ。

 

ここに引っ越したのが、息子が小学校にあがるちょっと前の1月で

6歳になる頃だとすると、その息子がいま21歳なわけだから

10年どころか、15年か・・・。

 

忘れるはずだよな。

 

まだ雑誌編集部にいる頃に、自転車特集が人気があったこともあり、

何となく始めたと記憶する。

 

あの2011年3月11日の東日本大震災の日に限って電車で通勤しており、

「今日こそ自転車が活躍する日だよ」と思ったことは覚えているな。

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会社までちょうど10㎞。往復20㎞。

毎日自転車通勤したけど、まったく痩せなくて

自転車屋の親父さんに「おかしいなw」と言われたものだった。

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でも、深夜の会社帰りに新宿周辺で

ほぼ毎日ラーメンを汁まで残さず食べていたから

痩せるハズがないよね。

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結局、体重は93㎏(身長は170㎝)まで増えて、

そのあと約4カ月でレコーディングダイエットで20㎏痩せて、

その後、また4年で90㎏まで太り、

その後、もう一度レコーディングダイエットで、今69㎏。

 

自転車通勤やめたらまた体重が増えだすだろうか。

気をつけよう。

 

フェイスブックにあげるのはちょっと気がしたので、書いてみた次第。

34年の時を超えて出版された『松本雪崩裁判の真実』の謎を追って<その③ 第3~第5の謎>

謎3)研修会に参加した当時の山岳部顧問(個人的には担任でもあった)I先生はどのような気持ちだったのか?

 

この本(『松本雪崩裁判の真実』)を読むとわかるが、雪崩に巻き込まれたのは複数あったグループのうちの教師が集められた6人グループである。

 

一列に6人並んで雪上訓練をしていた左3人が雪崩に巻き込まれ、1人(S先生)が亡くなった。

 

そして残りの3人のうちの1人に当時私の担任でもあった山岳部顧問のⅠ先生がいた。

だが、本書にでてくる裁判のくだりや、聞き取りされた中にI先生はいない。丁寧に取材をする泉さんが聞いていないということはI先生が意識的に避けていたとも考えられる。

高校教師という公務員の立場であれば、県を相手に裁判を起こすことのリスクを考えても不思議ではない。

 

I先生とは卒業以来32年ぶりに開催された昨年の同窓会で久しぶりに顔をあわせてはいたが、きちんと話をしていなかったので、連絡先を知る同級生から自宅電話番号を聞き、お盆に帰省した機会を使って、I先生の自宅を訪ねた。

 

果たして、お盆の8月12日、普通なら家族じゅうで集まってのんびりする日であるが、I先生はなんと母校で仕事だった。創立150周年事業に向けた事務作業だという。

 

そして、帰宅後に雪崩とS先生について話してくれた。

 

当時は自分も30歳になったばかりの若手でいっぱいいっぱいだった、他のことに対応できる余裕がなかったと。考えていたのは山岳部がなくなるような事態は絶対に避けなければということだったそうだ。

 

さらにわかったのは、

・I先生も京都大学出身で、亡くなったS先生とは大学も同じだったということ

・雪崩が起こる前に、自分のワカン(登山靴の下に装着する雪山を歩きやすくする道具)がはずれ、履きなおしていたために、当初と並び順がズレていた

ということだった。

 

そう、場合によってはI先生が雪崩に巻き込まれていた可能性は十分にあったのである。

 

生と死が紙一重で分かれる、実際にそうした状況にあったとき、自分だったらどのような思いを持つだろうか?

正直、そうなってみないとわからないが、複雑な感情を抱くことは間違いない。

 

逆に、そんな状況があってまで、よく山岳部顧問を続けたなとも思った。

 

ちなみに、保身から話をしなかったのではないか(※I先生は、その後県内の2つの校長を歴任)という疑惑もさりげなく質問してみたのだが、

「出世はまったく望んでなかったし、何だったら校長時代にマスコミの前で謝罪したこともある」と戒められた。

 

謎4)「個人の責任を問わない」のは戦略だったのか?

冒頭に書いた、2017年の栃木県での雪崩事故裁判と松本雪崩裁判の大きな違いは、

「雪山講習会を指導した教員の個人責任」を追及したか、否か である。

 

前者は死亡者が多かったせいもあろうが、個人責任も追及しているのに対し、

後者(松本雪崩裁判)では個人責任の追及はされなかった。

 

追及されなかったことにより、当時無謀とも思われた行政相手の訴訟に勝てた可能性は高い。

 

個人責任を追及していた場合、

「犠牲者が高校教師であると同時に、加害者(研修会の指導者)も高校教師」

となるため、県高教組が支援しづらくなるからだ。

 

物語の終盤、署名を集めるために、県内の県教組が尽力してくれるのだが、これがなかったら勝利へのうねりは起こらなかったかもしれない。

 

だが一方、子どもを亡くした親の心情的には、「研修会指導者の個人責任も追及したい」のは当たり前のことだ。

 

個人責任が追及されなかった理由はいくつか考えられるが、

この疑問を松本城近くに事務所を構える「あるぷすの風」法律事務所の中島弁護士にぶつけてみた。

「松本雪崩裁判」では原告弁護団の中心人物にして、キーマンである。

 

中島弁護士からのメールでの回答によれば、S先生のお母さんは当然個人責任を追及したかったと思うし、実際話題にもなったが、行政相手の裁判では残念ながら勝つことが難しい上に、当時、雪崩発生の責任を問う判例を自分は知らなかったので、とにかく「県相手に責任を問うことに争点を絞った」とのことだった。

 

したたかな戦略というよりは、勝ち目がないと言われていた裁判で一点突破の勝利を得るための苦渋の選択だったといえるだろう。逆に、このときに前例ができたことで、那須では個人の責任にも追及が及んでいるとも考えられる。

 

謎5)なぜ泉さんは実名にこだわったのか?

謎2でも書いたが、有名山系出版社社から発売されなかった理由は、著者の泉さんが実名にこだわったからだ。

 

当たり前だが、多くのノンフィクションは、登場人物が実名で書かれる。

仮名を使う場合もなくはないが、説得力が著しく低下するうえに、何かしらの理由で仮名にしたということになるので、余計な詮索も生むことになる。

 

だが、実名を入れて記述するということは訴えられるリスクも非常に高くなる。そんなリスクを負ってまで、なぜ泉さんは実名にこだわったのか?

 

実は、第一作『いまだ下山せず!』では多数の登場人物がいる中で、物語の主役ともいえる遭難した3人のうち1人だけが仮名で描かれている。

同じ学友会に所属し、気の置けない友人だったにちがいないが、この第一作を読むと、この仮名表現にはとても違和感を感じる。

 

第一作での「すべて実名表現できなかった」という悔しさが今回の自費出版をしても「すべて実名表現」につながったのではないか? 

そう確信して泉さんに質問したのだが、この推測は間違っていた。

 

「有名山系出版社が仮名にしてほしいと言ってきた人物は、本作の最重要人物の一人。裁判の証人となり、新聞にも発表されました。彼が仮名になってしまうと、この本はノンフィクションではなく、物語になってしまう。だからここだけは譲れなかった」

これが答えだった。

 

人は何故、山に登るのか?山とは何か?

「松本雪崩裁判の真実」とは直接関係ないことなのだが、謎解きを進めているうちに、改めてつらつらと考えた。

 

高校時代には「くだらない質問だ。登りたいから登るに決まっている。

こんな質問をしている時点でどれだけヒマなんだよ」と思っていた。

質問の本質は、ではなぜ登りたいと思うのか?ということなのだけれど……。

 

さて、この質問、皆様はどう思われるだろうか?

 

現在のように登山がレジャーになる前、我々の親世代(学生運動世代)以上には「自分探し・自己探求」的な意味あいが強いように思われる。

もちろん答えに正解はなく、その時その時に感じることが答えではあるのだが……。

 

私も50歳を過ぎ、何故か周囲の友人たちが山に登るようになった。信じられないが本当だ。これまで「登山なんて大変なだけで意味がわからない」といっていた人たちが「楽しい」と登り始めている。

 

もともと山と信仰は結びつきやすい。

何かしら人間の本質的な部分の拠り所になっているのは間違いない。

 

最後になったが、泉康子著『天災か人災か? 松本雪崩裁判の真実』(言視舎刊)、興味をもっていただけたら、ぜひ購入をお願いします!

 

著者の泉さんによれば、すでに50通以上の読書感想の手紙が届いているとの。

そんな反響は今時なかなかありません!

購入し、読んで面白かったら、ぜひ著者に感想を送ってください。

『天災か人災か?松本雪崩裁判の信実』書影

 

第一作の舞台となった常念岳を松本平から望む。左には槍ヶ岳も見える

■追記その1)

泉さんの第一作『いまだ下山せず!』では、前述したとおり、1987年の5月に常念に向かう一ノ沢で遭難遺体が見つかりますが、この年のまさにGW直前に実は私は県立高校の新一年生として、新人歓迎山行で一ノ沢ルートで常念に登っていました。当時はひたすらキスリング(昔ながら山用リュック)が重く、死ぬほど重く、さらに夜は雨に降られ、私自身は苦しかった思い出以外は何も覚えていないのですが、なんと顧問として同行していたI先生(こちらも初山行)は、この遭難した「のらくろ岳友会」のメンバーが登山道に貼っていた「訪ね人のチラシ」を覚えていました。「のらくろ」という特徴的な名前が記憶に残っていたそうです。何というニアミス!こうした不思議な縁も感じました。

 

■追記その2)

山系有名出版社が忖度した雪山講習会の講師だった教諭は、自身も五竜遠見の雪崩に巻き込まれ、30分も埋もれた後、掘り起こされ一命を取り留めている。この教諭との法廷におけるやりとりが、この本の肝の一つであり、法廷でのらちがあかないやり取りに傍聴者から怒りをぶつけられたりもしています。子どもを亡くした親の立場からは、この教諭を許せないと思ってしまうのは確かなのですが、一方で「県高教組が亡くなった教諭を支援することに異存はない」と答えているシーンがああります。そうとしか答えられないわけですが、自分が同じ立場になったとき、同じように受け入れられるかなとも思いました。顧問教師という存在について、在学時は「荷物が軽くて楽して登れる人」としか思っていなかったのですが、その背負う責任の重さを改めて認識した次第です。

 

■追記その3)

たびたび本文中で登場する、泉さんの第一作『いまだ下山せず!』は現在絶版となっており、中古で買うしかないのですが、もしこちらの本をもし入手されたら「表紙の画像(画像参照)」に注目してください!冬の槍ヶ岳に向かう3人パーティーの姿があります。私はずっとイメージイラストだと思っていましたが、なんと遭難する前に別のパーティがたまたま撮影していた写真を使っています。著者が仲間の遭難場所を探すために、同じ時期に入山した無数の登山パーティに確認作業を進める中で、たまたま撮影されていた写真を入手していたのです。この後、3人は帰らぬ人となってしまうわけだが、そんな場面が撮影されていたと思うと、何とも言えない感慨が沸き起こります。

槍に向かう3人(この後遭難)が撮影されていた表紙の写真

 

34年の時を超えて出版された『松本雪崩裁判の真実』の謎を追って<その② 第1・第2の謎>

謎1)なぜ雪崩から34年もたった今年発売だったのか?

著者の泉康子さんに会うべく、

私は現在も78歳で現役フリー編集者として元気に働く大先輩編集者に連絡をとった。

聞けば泉さんは86歳でケータイもスマホも使っていないという。

 

久しぶりにファクスを使って連絡をとり、

私は8月のお盆前に吉祥寺の喫茶店で待ち合わせをした。泉さんは小柄で大変元気な女性だった。

本にも記載されているが、家族が病気だったのとコロナ禍などもあり、執筆が10年、出版が5年漂流したという。

 

著者・泉さんに聞いた謎1の答えは

「最も大きな理由は、那須の事故です。松本雪崩裁判の判決は1994年。もう29年も前に“雪崩災害の8割は人災”ということが明らかにされたのに、まったく広まっていない。これを伝えなければいけないと強く思いました」

だった。

 

だが前述したように出版は5年漂流した。これが2つめの謎である。

 

 

謎2)なぜ出版は5年遅れたのか?そして山関係の有名出版社、および私の会社から発売されなかったのか?

本格的な山岳関連本の場合、まず思うのは、「山関係では有名な出版社から出版されていそう」ということだ。私もそう思った。だから著者の泉さんに確認した。

すると、やはり当初は山関係で知らない人はいない有名出版社から発売する予定があったのだという。

 

泉さんがその出版社に持ち込んだところ、ぜひ出版しましょうと話が進んだという。

だが、原稿のテキスト化を終えた段階で、ある人物を仮名にしてほしい、という条件がだされた。

 

そして実名にこだわった泉さんがこの条件を断わり、出版の話は流れた。

 

その有名山出版社が仮名条件をだしたのは、雪崩事件では講師を務めていた高校教師で、その後は長野県山岳協会の会長を務めた人物だった。

 

山岳界隈での知名度が高いため忖度したのだろ、と泉さんは推察していたが、

それは間違っていないだろう。

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忖度などなさそうに見える世界にも忖度はあるのだなと改めて実感したのだった。

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そして泉さんはヤマケイからの出版を断念した後、私の勤める出版社にも連絡をしていた。第一作を刊行した出版社から第二作を出すのはごく普通のことだ。

 

だが、この話も立ち消える。

 

以下は私の調査結果である。

泉さんは私の会社内の幹部と大学時代の知り合いで、その人物よりも年長である。

幹部経由で『松本雪崩裁判の真実』の担当になったのは、20代の若手女性編集者だった。

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そして

・その女性編集者の出産タイミングとコロナ禍が重なり連絡が取りずらくなったこと、

・女性編集者の担当は文芸で、ノンフィクションではなかったために、うまくコミュニケーションが取れなかったこと、

こうした事情が重なって出版は実現しなかった。

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「34年前の雪山で起きたノンフィクション」がヒットしにくそうな商品であることも一因にはあったと思う。

結果として、泉さんは言視舎から自費出版する道を選んだ。

 

これは本当にすごいことだ。

 

ある本が出版される場合、たとえ売れなかったとしても、著者は原稿料や印税を手にする。リスクはあまりない(次回作が作れなくなる可能性はある)。

出版社はさまざまな本を出版し、売れたり売れなかったりすることで損失を回避するわけだが、自費出版は一発勝負。売れなければが損失はすべて自分にかえってくる。

 

自費出版にどのぐらいの費用がかかるかは、紙とボリューム、装丁へのこだわりなどにもよるが相当必要である。

 

そんなリスクを冒してまで泉さんが出版を実現させたのは、

「“雪崩災害の8割は人災”をもっと知らしめなければならない」

という思いからだった。

発売を実現させるための費用を負担してくれた支援者たちもいた。

 

『松本雪崩裁判の真実』の編集を担当した大先輩編集者によると、出版するにあたり分量を減らして、値段も安価にしてはどうかと提案したそうである。

 

だが、泉さんの原稿は削られることはなかった。

 

そして何といっても「書いて終わり」「出版して終わり」ではないのが泉さんがさらにすごいところだ。

本の発売後、泉さんはJR新宿駅の中央線ホームとJR松本駅前で、自作のチラシを配布したうえに、松本駅前の書店に連絡をするなどした結果、平置きまでされるようになったという。

 

さらに出来上がった本を日本全国の山小屋と大学山岳部に手紙付きで送ったという。

 

本を作って満足という人はいっぱいいるが、本は書いた内容を読んでもらわなければ意味がない。当たり前のようだが、これがわかっていない著者はけっこういる。

 

自費出版だから売る努力は当然でしょ、と思うかもしれないが、なかなかできることではない。

 

繰り返しになるが泉さんは86歳。

小さな体のどこにそんなエネルギーを秘めているのか?本当に驚くばかりだった。

<その③へつづく>

『天災か人災か?松本雪崩裁判の信実』著者の泉康子さん



34年の時を超えて出版された『松本雪崩裁判の真実』の謎を追って<その①>

まさかあの時のことが本になるなんて・・・

 

「2017年に栃木県の那須の茶臼岳で登山訓練をしていた高校生8人が雪崩に巻き込まれて死亡した事故について栃木県に損害賠償を命じる判決が言い渡された」

 

というニュースが、今年(2023年)6月28日に報じられた。

那須の雪山雪崩事件を報じた国営放送画面

これを聞いて、かつて同じような雪崩事故が長野県の五竜遠見で起きていたことを思い出した。

 

1989年、私は長野県の県立高校の二年生山岳部員だった。

 

一学年下の後輩たちと山岳部顧問だったI先生が春休み中に参加していた雪山研修会で雪崩が起き、参加していた別の高校の山岳部顧問教師が一人亡くなっていたのだ。

 

当時は、研修会から戻った後輩たちから、

「雪崩に巻き込まれた人を探したり、その後マッサージしたりした」

といった内容を聞くにとどまり、

その後、この話がどうなったのかは知らなかった。

 

しかし、それから34年たった今年(2023年)の4月、このときのことが一冊の本となって発売された。それが『天災か人災か? 松本雪崩裁判の真実』(泉康子著・言視舎刊)である。



6月8日に山岳部のOB会のメールで存在を知り、購入した。

この本はAmazonの評価が4.2と非常に高い。

 

1989年3月8日に五竜遠見尾根で起きた雪崩のたった一人の犠牲者となったS先生(※本の中では実名 当時24歳、地元の進学校から京都大学をでて地元の高校の教諭になった一年目を終える春だった)のお母さんが、その死の真相を求めて、長野県を相手に裁判を起こし、5年後の1994年に勝訴するまでを追ったノンフィクションである。

 

勝訴するまでと書いてしまえば簡単だが、34年前の当時(というか現在も)、県(正しくは当時の長野県知事)を相手に裁判を起こすなど、大変勇気がいることだったと思う。

 

だが、亡くなった教諭のお母さんは

「なぜ息子が死ななくてはならなかったのか」

という無念の思いから裁判を決意。

 

頼もしい弁護士を味方につけ、

長野県高等学校教職員組合をも動かし、最終的には18万人を超える署名を集め、

従来定説とされていた「雪崩は自然災害」を覆す「雪崩災害の8割は人災」を認めさせていく。

 

だがその一方で、県を相手に訴えることを尻込みする夫との距離は離れていってしまう。そうした過程が丁寧に描かれ、非常に読ませる内容となっている。

 

 

『松本雪崩裁判の真実』との不思議な縁

この本は「1994年、私は『いまだ下山せず』を発表した。」で始まる。

 

冒頭のこの一文こそ、私が本原稿を書いている理由につながっている。

というのも、『いまだ下山せず!』は、私が現在勤務している出版社から出版されていたからだ。私は1997年入社なので、発売時に勤務はしていなかったが、強いタイトルと表紙の印象的なイラスト(実は写真だったのだが)が強く記憶に残っていた。

 

『いまだ下山せず!』は著者である泉康子さん自身の経験を書き下ろしたノンフィクションだ。こちらもAmazonでは4.1と高評価である。

『いまだ下山せず!』の書影



1987年の正月の北アルプス表銀座(燕~槍ヶ岳ルート)を目指した「のらくろ岳友会」の3人グループが行方不明になり遭難。半年後の6月に常念下の一ノ沢で遺体となって発見されるまでを追った内容(1999年に文庫化され、2004年と2009年に新装版として再文庫化)だ。

 

同じ「のらくろ岳友会」に所属していた泉さんが、3人がどのルートをたどり、遺体はどこにあるのかを探るミステリー的な要素もあり、こちらも大変読み応えがある。

 

『松本雪崩裁判の真実』の奥付(本の最後にある、著者名・発行所名・発行年月日・定価などの記載情報)を見ると、すでに引退した会社の大先輩の名前があった。

 

つまり『いまだ下山せず!』のスタッフで、新作『松本雪崩裁判の真実』を手掛けたことが読み取れた。

 

 『松本雪崩裁判の真実』も『いまだ下山せず!』同様、著者の描写力によってグイグイ読ませられ、数日もたたないうちに読み終えてしまった。

 

そして、いくつかの謎が残った。

 

私は、その謎を解く旅にでることにした――。

<その②へ続く>

【 秋の夜長にオススメの密室ミステリー2冊!後編 】

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前編 で紹介した『密室黄金時代の殺人 雪の館と六つのトリック』は2022年2月に文庫として発売された作品ですが、なんとはやくも続編が発売となります!

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タイトルは『密室狂乱時代の殺人 絶海の孤島と七つのトリック』

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わかりやすいほどの続編タイトルですよねw。

そして本作も「密室密室ミステリー好きによる、密室ミステリー好きのための、密室ミステリーてんこ盛り+αの小説」となっています。

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まったく同じではなく、「+α」としたところがポイント。ㅤㅤ

 

まず本文が前作416ページだったのが、480ページへと64ページも増量!

にもかかわらず定価は前作からの据え置き定価880円(税込)!

加えて、今回は前作以上に内容てんこ盛り盛り!

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前作同様、同時進行で起こる複数の密室殺人に加えて

過去の有名殺人事件小説へのリスペク、

さらには「叙述トリック」を含めた第一作を楽しんだ読者を前提としたストーリー展開などなど・・・

どこを切っても「面白くてお得」がこぼれてくる感じ!

 

まあ、そりゃそうです、ストーリー展開まで同じだったら、

これほどつまらないことないもんね。

 

 

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密室ファンだけじゃなく、ミステリーファン、大どんでん返しファンも楽しめる

『密室狂乱時代の殺人 絶海の孤島と七つのトリック』、ぜひ読んでみてください!

 

tkj.jp